臨床教育学コメント 2015.5.14

1 戦前教育と戦後教育の違った点がよく理解できなかった。

 戦前の教育と戦後の教育は、相違点と共通点があります。決して、全部違うわけではありません。別の授業でやったことですが、戦前教育のひとつの大きな特質は、「立身出世主義」にありました。学校教育でよい成績をとった者が、上級学校に進学し、そして、国家的に高い地位についていく。そして、それをめざすように勉強させるというものです。これは、1980年代まで、日本の教育の大きな特質として残っていました。しかし、少子化の影響や国際的な圧力(「日本人は働きすぎ」)をうけて、「ゆとり教育」が始まり、立身出世主義教育は、かなりの変質を迫られたと考えられます。こうした点は、共通点です。

 しかし、大きな相違点は、戦前は、義務教育段階では、科学的事実を重視せず、科学的思考なども無視されていたといってよいでしょう。神話を歴史として教えていたことに、それはもっともよく現れています。戦前の「成績」のなかでは、「修身」が最重要科目であり、修身が優でない者は、中学進学ができなかったとまで言われています。そして、その修身の中心が「教育勅語」であり、国家によって定められた「徳目」を教え込むことが重視されたのです。

 そういうなかで、科学的にものごとを見る、社会をしっかり考えるというようなことを、教育のなかで重要なものと考えたひとたちも、わずかながらいました。彼らは、がんじがらめになっている教育のなかで、わずかに自由であった作文を利用して、その重要な要素を少しでも実現しようと思ったのです。

 作文は、観察や思考を経て、表現されるものであり、科学的な見方や思考を育成する上で、非常に効果的だったのです。それは今でもかわりません。

 戦後になって、国家的徳目を教え込むような道徳教育は、とりあえず今の段階でも実施されていませんし、また、歴史で明らかに事実ではなかったようなことを教えることを、学習指導要領で規定されたりしていません。国による統制は、日本はかなり強い国ですが、それでも、戦前とは比較にならないでしょう。そういうなかで、綴り方が、科学的見方を涵養する最も重要な教育的手段であるということはできません。しかし、立身出世主義、そしてその極端な現れである受験戦争などでみられる、単なる知識の暗記などの学習スタイルに対しては、有効な対抗的方法であるという側面は残っています。

 

2 小学校6年の先生が、作文教育をしていたが、全体に公開することはなく、教師との対話形式だった。

 作文教育は、学習指導要領でも重視されているし、また、生活綴り方教師でも、いろいろなやり方があります。作文を書かせ、子どもとのやりとりに限定している綴り方教師もいるかも知れません。授業で説明したように、保護者が、子どもの作文を印刷されることにネガティブな態度をとる場合も少なくないので、最初から諦めている教師がいることは考えられます。

 しかし、多くの場合は、学級通信に載せたりするので、そうしたことを全くしないとすると、伝統的な綴り方教師ではないと考えられます。だからといって、効果がないというわけではなく、作文を書くことは、いろいろな能力を発達させるので、よい教育だったのではないでしょうか。