国際教育論 コメント2018.6.18

Q PISAの順位が低くなると、各国は、資金をそこにつぎ込むことで学力を高めるように取り組むとありました。日本の順位は全体的に高いですが、教育レベルが低下するような教師の現状や現場が問題になっていますが、そこに人材・資金は工面されないのかされるような動きがあるのか気になりました。

A 今の日本は、公立小中学校は、ブラック企業化しており、教師は、まじめな人ほど、疲弊しています。これは、教育行政の結果と、教師に多くを求める住民の意識的圧力によるものだと思いますが、この傾向はますます強くなっています。このままいけば、教職を希望する人が、どんどん減ってしまうのではないかと危惧されています。実際に、欧米では、そうした傾向が以前から根付いています。

 これは、若いひとたちの政治力によって変えていく以外にはないのではないでしょうか。

 

Q デンマークが2009年に幼稚園を義務化した社会的背景に、PISAの順位が影響しているのか。

A 幼稚園教育の一部、あるいは全部を義務化する政策は、ヨーロッパではいくつかの国で既に実施されており、そうした流れを意識しつつ、PISAの成績が悪かったことから始まった制度改革として浮かび上がったと解釈できます。

 

Q 日本はフィンランドと違って競争社会であるが、なぜ非競争社会を目指そうとしないのか。PISAで一位のフィンランドを見習おうとしないのかと疑問に思った。しかし、今の日本は、競争社会で成り立っている部分があるので、このような教育があり方を変えるには、難しい理由があるのか。

A 日本のゆとり教育を推進した文部科学省の森脇氏などは、競争ではなく、高い意欲による学習を保障することを意図していたと言われています。そういう意味では、競争ではない教育をめざしていたのが「ゆとり教育」であると解釈できるので、日本で一切やろうとしなかったわけではありません。しかし、大勢として、PISAの成績が落ちて、競争主義が日本社会を覆ってしまったという事実があります。これは、やはり、国民の意識の問題といえるでしょう。

 

Q 競争しないことによって学力の低下が軽減されるなら、日本も真似するのがよいと思う。しかし、競争的な社会である日本にこの体制を根付かせるのは難しいと思う。

A 競争しないから、フィンランドの学力が高いというのは、都留文科大学の福田氏の解釈であって、かなりメディアで広められましたが、授業で説明したように、あまり妥当なものだとはいえません。フィンランドの学力が低くならなかったのは、人口や移民が少ないことですが、高い理由は、教師の資格や評価が高いこと(教員免許の基礎資格が大学院修士)、労働条件が恵まれて、授業に専念できること、子どもたちの間で、わかることの権利意識が高く、わかるまで教師に質問する風土があること、などが言われています。

 

Q 北欧では教員養成がどのように行われているのか気になった。また、PISAの結果をそれそれの国家がどの程度重要視しているのか疑問に感じた。

A 教員養成のシステムは、国によってかなり違っています。学士レベル(ヨーロッパでは高等専門学校といいます)が基本ですが、教員養成のための高等専門学校がある場合(オランダ)と、大学等で学士レベルまでとって、あとは、必要な教職の単位を取得したり、あるいは一年の教員養成コースを取得する(ドイツ)、また、基礎資格として大学院レベルを求める国(フィンランド)などがあります。フィンランドの学力が高い理由として、教員養成の基礎が高いことが、ひとつとしてあげられることが多いといえます。

 

Q エフタスコレにいくと、力がつくから就職やその後の進路に有利なのか。

 学校行事などがあまりないということだったが、子どもたちのモチベーションが日本も垂れるのは、教育が充実しているからなのか。

A エフタスコレが評価されているのは、ゆとりをもって、義務教育の内容をしっかりと理解した上で、高校に進みたいという意識の現れで、その後の進路に特に有利ではないと思います。ただ、国民学校での成績が低めだった人が、その成績を向上させて、普通高校に進学したいという人にとっては、有利になるといえます。

 日本で学校行事でやるようなことは、ヨーロッパでは、多くが地域活動として行われているので、決して不活発なわけではなく、むしろ、学校で少ないメニューのなかから行われる弊害や、好き嫌いにかかわらずやらせるという側面を考えれば、地域の活動のなかから、やりたいことを選べる点で、むしろモチベーションは高いと考えられます。

 

Q デザイン性に優れている国はなぜ北の国が多いのか。有名な現地の物や町の風景など、デザインに優れた町で過ごすと意識があがるのではないか。

A デザインに優れているのは、そうした能力を高める教育があるからだと考えるのが、最も妥当でしょう。私が見学したデンマークの国民学校では、非常に長い廊下が、一面真っ白になっており、そこにひとつの学年ごとに割り振られた「卒業記念デザイン」を描くようになっています。日本で卒業記念というと、お金を集めて記念樹を送ったりするようなことが多々ありますが、学校のなかに、集団で絵画を残すというようなことが行われており、それは普段の教育活動でも、形をかえて実施されているように思います。こうしたことの積み重ねとして、デザインの才能が育っていくように感じています。