国際教育論コメント 2018.6.11

Q 家事のしつけに関して、北欧は成人になったら一人暮らしをする人が多いのか。

A 北欧に限らず、ヨーロッパでは、18歳になったら、親の家をでて、独り暮らしをすることが普通です。たとえ、大学が自宅の近くにあったとしても、親の家をでます。したがって、家事ができるようになっていることは、必須といえるでしょう。日本と非常に違う点です。日本では、家事より受験勉強という風潮と、通学できれば大学生でも自宅にいるということから、家事の必要を感じない点が異なるのですが、日本の大学生が、ヨーロッパに比較して、子どもっぽいという印象を与えるのは、そうした生活自立能力のなさにもよるかもしれません。

 

Q 森の幼稚園は、悪天候でもやるということだが、安全管理は大丈夫なのか。

数名の教師で十分管理できるのか。

A 管理をどこまで考えるかによるかと思いますが、森の幼稚園にいれる保護者は、多少の怪我などは想定していると思われます。特にひどい事故でもない限りは、許容範囲であると考えられることがひとつ。森の幼稚園の子どもたちは、授業でも説明したように、教師のいうことを注意深く聴く習性が育つようになるので、管理がしやすいといえます。子どもの数に対して、教師の数が少ないわけではないので、通常は管理が充分に可能ではないかと思われます。

 

Q 神を冒涜するのは、表現の自由ではないと思う。特定の宗教を批判するのは、世論に悪い印象を与える。

A 冒涜というのが、微妙な表現ですね。批判か冒涜か、表現の自由か他人への人権侵害と同様、かなり線引きが難しいのが実情です。人が相手の場合、名誉棄損的な表現が制限されるのは当然として、神の場合は、歴史的な経緯もあり、そう単純ではないといえます。神を批判してはならない、というのが、実際の意味が、王権などへの批判を許さないという意味であった時代が長いわけですから、神への批判が許されることこそ、言論の自由の核心であるという考えも当然成立します。また、神の冒涜と、信者への冒涜が同じことになるのか、また別のことになるのか。

 特定の宗教を、ヘイト的に批判・冒涜するのは、確かに問題でしょうが、宗教の批判が表現の自由ではないというと、やはり、表現の自由の否定になる気がします。デンマークやシャルリー・エブドなども、別にイスラム教の批判ばかりをしているわけではなく、イエスの冒涜なども実際にやっているでしょうし、あらゆる宗教を批判するのだという立場だとすれば、それはそういう思想的な立場なのだということになります。ただ、イスラム教の批判が目立つのは、イスラム教徒の反撃が繰り返されること、実際にイスラム原理主義のテロがあること、などによる側面もあります。

 信仰心に基づくなら、なんでも認めるという風潮もまた、検討の余地がありそうです。

 

Q 森の幼稚園を小学校にも導入するのが面白いのではないかと思った。

A 学習方法が経験主義的なものになるでしょう。

全面的に小学校の教育を、森の幼稚園的なものにすることは、教科書を使った教育が不可能になるので無理でしょうが、要素として取り入れることは大切でしょう。ビオ・トープの重視などは、そうした現れともいえます。

 

Q 森の幼稚園は、集団で取り組む活動をあまりしていないのではないか。また、小学校に入ったときに、椅子に座り授業をうける環境に適応できるのか疑問に思った。

A 集団で取り組むというときに、集団がどう形成されるかという問題があります。学校側が用意した集団と、子どもたちが自発的に形成した集団とは、同じではありません。日本では、集団で取り組むというときに、自発的に形成する集団をあまり意識しませんが、欧米では、そういう集団を上から押しつけるようなことは、日本ほど見られないわけです。つまり、人々が集まって何かやれば、自然に集団が形成され、それを基盤に協力関係などが培われると考えるわけで、そういう意味では集団的な取り組みがあまりないとはいえないわけです。

 後者については、これまでみた調査では、椅子に座ることに適応できるかどうかは、みたことがないのでなんともいえませんが、そうした弊害があるのならば、調査対象になっていると思われます。先生の話をきちんと聴く姿勢があるという点で、森の幼稚園のほうが勝っているわけなので、椅子に座ることが苦手であるとは思えません。

 

Q 子どもに自由にさせていると、自己中心的な子どもになっている恐れはないのか。

A 責任をともなわない自由は、自己中心的な子どもになる恐れがあるでしょうが、責任を自覚させつつ、自由にさせるのであれば、そうした恐れは小さいのではないでしょうか。

 

Q 日本に森の幼稚園があったときしても、利用する人がいるかは微妙だと思った。

A その理由は、幼稚園でもお勉強をさせてほしいと思っている親が多いということでしょうか。確かにそういう感じの親が多いと思いますし、森の幼稚園を利用はしないでしょう。しかし、かならずしも、そうした親が圧倒的とも思われません。豊かな自然のなかで、少なくとも幼稚園時代は過ごさせたいと望んでいる親も多いと思われます。

日本で森の幼稚園が少ない理由は、授業で説明したように、設置基準の問題と、森と住居の位置関係にありますから、環境が変わって、あるいは人口の分散が起こって、森の幼稚園が可能になる環境になれば、設置されると思われます。

 

Q 北欧やドイツ以外に森の幼稚園はあるのか。また、日本で公立の森の幼稚園はありえるのか。

A スウェーデンにはあります。おそらくノルウェーなどにもあるかと思いますが、ウィキペディアで調べる限り、他にはあまり広まっていない感じもします。この項目のウィキペディアが、あまり多くの言語がないので、おそらく、あまりないものと思われます。イタリア語のウィキペディアでは、オーストリアの森の幼稚園の写真が掲載され、イタリアには増えているようだが、詳細はわからないとしています。

http://morinoyouchien.org/map に日本の森の幼稚園団体に加盟している幼稚園の一覧があり、それぞれホームページをもっているので、見ることができます。いくつかみたところは、やはり、ドイツやデンマークのものとは違い、校舎ももっていて、自然の活動を重視している、あるいは、かなりの時間森に出かけているというようなものが多いみたいです。みなさん、それぞれ興味があればみてください。埼玉にも、秩父のほうにいくつかあるようです。

校舎を設置すれば、森の幼稚園のような運営をすることは可能ですから、そのような形であれば、法的な意味では日本の公立幼稚園でも可能だと思います。