国際教育論コメント2018.5.28
Q チャータースクールで大きな変化があることはわかったが、企業が公立学校を運営するのは、何か変だと思った。公立学校とは何かを改めて考え直す必要がある。
A 公立学校と私立学校というのは、法的な位置づけが違うわけで、生徒や教師にとっては、日常的にはそれほど違いはありません。教育内容にしても、日本では、学習指導要領にそって行うことが義務づけられているとされ、さほど違いはありません。法的に違いがあるのは、教育内容に関しては、宗教教育の有無だけです。しかし、私立学校で宗教教育の時間をとって行っているところは、それほど多くないと思われます。
日本でもっとも大きく違うと意識されるのは、授業料に関してでしょう。アメリカでは、この点が日本よりももっと大きな差として現れます。
それに対して、オランダでは、財政的には公立と私立は全く平等であると憲法で保障されているので、実際ほとんど違いがありませせん。オランダのところで説明しますが、生徒数が基準より少なくなれば、公立学校でも補助金がなくなって廃校になる可能性があります。
このように見ていくと、確かに公立学校、私立学校とは何かを、改めて考え直す必要があるわけで、この先はみなさんで考察してみてください。
Q アメリカ経済が落ち込んでいるときに、教師の質が問題となったのは、教員養成の問題なのか、それが経済の衰退の原因なのか。チャータースクールのドロップアウトの学校とエジソンスクールの学校を比べると、差別がこういう形で残っていると感じた。
A チャータースクールが構想されたときには、ドロップアウトを想定した学校が多かったようですが、やがて、エジソンスクールなどが可能性を見いだし、進出していったわけです。平等への志向がある一方、自分たちの求める教育を志向する人々のいるわけで、特に、エジソンスクールを求めるような人々は、力があるので、そうした道があれば、通常の公立学校よりも、好ましい思うわけであり、その結果として、新しい形での格差、差別がつくられていると解釈されます。
Q NCLBを受け入れた州はどのくらいあるのか。
A この法は、各州に実行を義務づける内容をもっていることもあって、ほとんど受け入れていますが、ユタ州とコネティカット州が受け入れていないことは知られています。しかし、両方の州が試験をしていないのではなく、独自の試験をしています。義務付けるといっても、充分な予算の裏付け等はなく、また、結果の扱いに対しても、大きな論争の対象となっています。
Q 創造性の教育は日本では図画工作くらいしかないと思う。アメリカではどうなのか。
A 創造性の教育を「何かつくる」というレベルで考えるならば、図画工作以外にも、作文、音楽(器楽・合唱・作曲)、創作ダンス、等々いろいろあるといえます。しかし、これらが創造性の育成のために、有効な手法によってなされているかというと、かなり拘束的な要素が強い授業が行われている感じがします。
Q チャータースクールの出身者は、大学を出た人に対して優劣をつけられるのではないか。日本ではチャータースクールはどのくらいあるのか。
A 日本には、チャータースクールはありません。チャータースクールというシステムが、日本には存在しません。
Q ホームスクールは有効だと思うが、日本では可能か。
A 日本でも決まれば、可能でしょう。可能というのが、それでもしっかり勉学がなされるかのかという意味であれば、それを決意する人たちでは、アメリカと相違があるようには思えません。きちんとやり抜く人は比較的少数で、多くは流されてしまうような気がします。
Q 大学で再教育になったら、授業料などはどうなっているのか。
A 大分調べてみましたが、明確にはわかりませんでした。ただ、アメリカの場合、教師が自分の技能を向上させるために研修を受けるときにも、通常研修を行っているところに料金を支払うのが普通なので、無料で再教育を受けることは、あまりないのではないかと思われます。
Q 企業運営のチャータースクールに入ることで、その企業に就職しやすいということはあるのか。
A 企業運営のチャータースクールは、大学進学用なので、直接就職することはほとんど考えられません。一般的に就職しやすいようなことはないと思われますが、ただ、採用する人の感覚は人によって異なるので、好感をもつ人がいるかもしれません。
Q ドロップアウトした生徒がしっかり就職できているのか。
A 高校と大学ではかなり事情が異なると思われます。
大学は、卒業が難しいので、多くの人が途中退学になるし、また、新しい道をみつけたために退学する人もいます。欧米では、新卒一斉採用というシステムそのものがないので、中退してすぐに見合った職を探す活動に入ると思われます。それほど深刻な事態ではないでしょうが、高校の場合には、大分事情が違います。高校は途中で義務教育が修了しますが、義務教育修了とともにやめてしまうドロップアウトが多いわけですが、圧倒的に貧困家庭が多いわけで、高校卒業の割合が非常に高くなっている現在では、途中でやめてしまう生徒たちは、就職に大きなハンティを背負うことになります。アメリカ政府が高校卒業率を高くしようと力をいれているのでは、中退者が犯罪に走る傾向が多く、社会の安定のために必要であると考えているからです。高校での銃乱射事件を起こす人の多くが中退者であることをみても、中退問題の深刻さがわかります。
日本でも、高校中退者が就職する場合には、卒業生よりはかなり不利であると言われています。
Q クリティカル・シンキングというのは、日本でも言われるが、教師は正しいことを教えるという前提がある場合、難しいのではないか。
A 確かにそうだと思います。正解のない領域がたくさんあるので、そういうところで、正解を意識した教育をしていることを、改めていく必要があるでしょう。
Q 日本では教員採用試験に受かるための勉強という意識があるが、ずれているのではないか。それに対する社会の動きはあるのか。
A 今は演習をもっていないので、指導もしなくなりましたが、以前は教師になる人たちへの指導を大分していました。そのときに、かならず強調したことは、採用試験に受かるための勉強をするなということです。教師になったときに、教師としてきちんと仕事ができる力量を身につけるための勉強をするようにという指導をしていました。したがって、「ずれている」というのは、そういう意識で勉強している人に対して、きちんと受けとめてほしいと思います。
社会の側で、どう改善するかという点については、試験をする主体が、ほんとうに現場に出たときに必要とされる能力を測るような試験をすることです。以前の教員採用試験の問題は、非常に問題がありましたが、少しずつ改善されているといえます。その現れが、以前は公開されていなかった問題が部分的にせよ、公開されるようになったことです。公開されていない時代に、その理由を問われた教育委員会が、「見せるような、りっぱな問題ではない」といっていたほどです。
しかし、それでもまだまだ問題があります。