国際教育論コメント 2018.4.30

Q アメリカのように、(教育が社会的成功の不可欠の要素でないのだとしたら)日本では、どのくらいの人が学校にいくだろうか。家で勉強する人もいると聞くが。

A それは社会が、基礎資格として、どの程度重視するかに、かなり左右されるでしょう。現在の企業の多くは、採用のときに、大卒とか高卒という基礎資格を設定しており、また、教職資格は、基本的に大学でとることが原則になっています。必要条件として、多くの職業が大学卒業を指定していれば、義務教育ではなくても、高校、大学に進学するでしょう。アメリカでは、特に「大学卒」を基礎資格とする企業が少ないのだといえます。逆に、企業で最初から経営者をめざす者にとっては、大学卒業の必要性はそれほど多くなく、必要な知識技能を必要な場所で獲得するような意識になるのだと思います。

 

Q 学校にいかずに成功した人は、学力ではなく、どこにその要因があるのか。その人たちは、他でどのような教育を受けてきたのか。

A それは、個別の人物例にそってみていく必要があるでしょう。ただ、共通にいえることは、自分がやりたいこと見つけ、何をすべきかを自覚したら、それに向かって邁進する姿勢をもっていたことでしょう。

 フランクリンの12カ条がその典型であると考えられています。

 

Q 外国の大学の歴史は1000年くらいと聞いたが、日本の大学は、外国の大学制度等を参考にしなかったのか。

A 日本は、常に外国の事例を参考にしながら、制度を設定してきたといえます。日本の最初の大学制度は、唐の制度を参考にしたはずであるし、戦国時代に宣教師たちが持ち込んだ教育施設のあり方は、少なからぬ影響をあたえたといえます。明治になって、近代的な大学をつくる過程では、ほとんどの教授が外国人だったことに見られるように、欧米に学んで作った部分がほとんどであるともいえます。

 しかし、日本は人口の多いところであり、かつ教育を、国家レベルでは富国強兵、個人レベルでは立身出世の手段と位置づけていたので、進学の熱意は、欧米に比較して、最初から大きかったわけで、そのために、収容量を超えた志願者が常にいたために、進学先の学校が選抜試験を行うという制度が定着したのだと思います。

 

Q ヨーロッパから視察にきた人たちは、コモンスクールをまなんで、実際に取り入れたか。

A 最初に与えた影響としては、実質的な義務教育制度を創設したことでしょう。そして、小学校後の第二段教育のシステムを統一していくときには、コモンスクール・ムーブメントの考え方が大きな影響を与えました。

 

Q 検察のトップを選挙で決めると、選挙のときだけいいことをいう人が出てくるのではないか。

A 選挙前になると、それほど嫌疑が固まっているわけではないが、起訴してしまうというようなことが、ドラマをみていると感じますが、人間のすることなので、そうしたことは、すべてではないにせよ、あると思います。

 

Q 固定資産税を教育税にするときの事情がわかりにくかった。

A どこから税をとるかということは、多くの場合、実利的な選択がなされるので、この場合、教育のための目的税というのにふさわしい形で固定資産税が選択されたと思います。まず、学区が決まっている、そこに学校を設置運営する、ということで、不動産は範囲が明確であるし、また、所得税を目的税にはできないので、(大きすぎる)その点でも、適当だったといえます。注意すべきなのは、教育にかかる費用が、この教育税だけでまかなわれているのではなく、一般財源からの補充が必ずあり、また、教育税という制度をやめた自治体もあります。更に、教育税を課す際に、訴訟になった事例もたくさんあります。多くの場合、合理的な課税であれば、裁判所は学区が教育税を課すことを合法としており、それが教育税制度が広まる動因にもなったわけです。

 

Q アメリカで大学を卒業しなかったビル・ゲイツやスティーブ・ジョブスは、どこで高い能力を形成したのか。エジソンは母から教育を受けたと聞いたが、経験主義の影響なのか。

A 欧米では、日本のように、子どもの生活の大部分を学校関連の活動が占めるということはないので、学校以外のさまざまな部分で、自分の活動をしています。だから、それぞれが自分の興味のある部分を、どこかで、徹底的に追求していたと考えられます。ジョブスは、伝記があるので、興味があったら、そうした観点から読んでみるといいでしょう。

 

Q 今後日本でも、大学院を卒業しないとなれない職業が増えていくべきなのか。

A いくべきかどうかは別として、これだけ大学進学率が上昇すれば、専門職、幹部的人材を育成するのは、大学院により重点が移っていく可能性は大きいでしょう。理系の専門家は、ずいぶん前から大学院卒が普通になっています。

 

Q 日本が学歴社会から脱却するには、どうしたらよいのか。

A これは非常に難しい問題で、まず「学歴社会」とは何かという定義が、人によって違うでしょう。また、学歴社会は、ほんとうに悪いものなのか、脱却すべきものなのか、日本は、学歴社会なのか、実に多様なレベルでの検討が必要です。

 何故、学歴社会が出現したのか。その理由は比較的単純だといえます。

 どのような職業でも、求められる知識・技能を学ぶ教育が必要であり、学校は、文字文化を必要とする職業に従事する人材を養成するために設立されました。社会が高度になり、文字文化を必要とする職業が増えるにしたがって、学校も拡大したわけです。

 職業選択が身分によって決まっている時代は、それで済んでいましたが、身分が廃止され、市民が平等になると、能力や適性で職業選択と選抜がなされるようになり、学校は、教えるだけではなく、その成果によって、能力・適性を測る場ともなっていったわけです。このこと自体は、身分制よりはよいものであると通常は考えられます。もちろん、職業の受け入れ側が能力・適性試験を行えばいいわけですが、極めて短期的な試験よりも、10年以上の勉学の成果のほうが、より正確に能力・適性を表すので、学歴が重視されるようになるのは、ある意味自然な成り行きです。

 学歴社会といって、単純化すると、次のようなタイプに分かれるでしょう。

(1)大学とか高校とかの、学校の段階の卒業を問題にする

(2)学校の段階だけではなく、特定の学校の卒業生を重視する

(3)職業ごとに、何を学んだかを指定する

 日本は、基本的には、(1)の学歴社会であり、隠れた(2)の部分ももっているといえます。しかし、(2)の部分は曖昧な部分もあり、たとえば、キャリア組の官僚に東大卒が多いのは、特定大学だからなのか、あるいは、官僚の試験に適性のある能力をもっているひとが東大に多いからだという、異なった見方ができます。おそらく後者が正しいと考えられます。また、公務員試験は、(1)のような指定をしていますが、実際にそこからはずれた人が受験できないわけではなく、卒業資格に関係なく受験することができます。

 ドイツなどは、職業ごとに、学校で学んだことを条件としており、大学生も、自分が就きたい仕事が求めている単位を習得するために履修内容を決めます。したがって、日本のような意味での「大学卒業」は、ドイツにはないと言われています。卒業と同等のように使用される「学位」をとるというのは、むしろ、アカデミックな職業につくための必要単位を満たしたというように理解したほうが正確です。

 こうしたなかで、日本は、本当に学歴社会なのか、どの程度の学歴社会なのかというと、実は、それほど学歴社会ではないと考えるほうが実態にあっています。

 日本には、国家資格が多数ありますが、その資格をとらないと、特定の職業につけないという意味での資格は、実は、極めて少ないのが実態です。厳格にそのように規定されているのは、医師や看護士など、それほど多くはありません。教師も基本的にそうですが、実は、無資格な教師の余地がけっこうあり、実質的な意味での資格とはいえない臨時免許や特別免許で教職をしている者も少なくありません。

 学校が厳しく学習をさせ、卒業認定を厳格にしていれば、その卒業資格を尊重して職業に受け入れるということは、それほど不合理なことではありません。また、その履修内容と職業が求めている内容がマッチしていれば、不満はほとんど生じないはずです。

 しかし、日本の場合には、他の国と違って、ローテーションシステムがあります。一般職で採用された者は、多くの仕事を経験して、昇進していきます。つまり、大学で学んだことと、企業が求めていることは、もともと対応しないことが前提とされているのです。だから、学歴社会の積極的な側面が、最初から無視されている。「たぶん優秀」などという評価で、採用するので、ミスマッチも起きるし、不満も生むのでしょう。

 こうした弊害からどうやって脱出するのか。いろいろと長短はあるにせよ、やはり、欧米流の採用、昇任の方法のほうが合理的であるように思われます。採用は、実際に働く場で求められている能力をチェックする、他の部署や昇任するために必要な、プラスの能力形成は、企業内教育ではなく、自前で生涯学習の場で行い、必要な試験をうけて、移動・昇進するという方法です。それですべてがうまくいくわけではなく、日本の方式のほうが優れている側面もありますが、学歴社会の弊害は、日本のほうが現れやすいと思われます。

 

Q スイスの独立戦争の記録が少ないのは何故か。

A まず、スイスの独立戦争が、あまり知られていないのは、それが長く、複雑な経過をたどっており、一連の独立運動ではないからだと考えられます。

 最初の動きは、1291年の原初同盟とされ、当時スイスを支配していたハプスブルク家に対する独立意志の確認がなされたもので、ここから生まれたのが、有名なウィリアム・テル伝説と言われています。伝説とされることでわかるように、詳細はわからないのです。

 スイスの独立が正式に承認されたとされているのが、1648年のウェストファリア条約で、このときオランダの独立も正式なものとなりました。オランダの最初のスペインに対する反乱は、1568年であり、実質的なオランダの勝利をもたらしたライデン包囲戦が1573-74年ですから、実質的な戦闘は10年足らずだったのです。他方スイスの独立への動きは、300年近くにもわたっており、一連の独立戦争によるものではなく、紆余曲折を経た結果としての独立「承認」だったので、まとまった独立戦争の記録が少ないといえるわけです。

 

Q アメリカで6334から、4444へと転校すると、大変ではないか。

A 入学からの学年はかわりないので、日本人が考えるほどではないと思います。

 

Q アメリカで自治体形成には、どのくらいの住民の賛成が必要なのか。

A アメリカは、州が基本単位で、起源からみれば、そこに住む人々が自発的な意志として「州」を結成したわけで、自治体といえます。その州の連合体が連邦政府となります。州は、行政区として「郡」county を設置し、一般的な行政を行います。しかし、ある地域の住民が、自分たちの費用と意志で管理したいということを、住民投票で決定すれば、自治体 municipality となります。もともとは郡に所属しているので、郡の決定としての住民投票が行われ、過半数の賛成で「独立」が決定されます。自治体の領域は、アメリカの60%強ということです。現在は、特に富裕層が住む地域で、「独立」運動が顕著になっていて、ある意味大きな政治問題、社会問題となっています。

 

1 アメリカの政府・自治体数 (U. S. Census Bureau, *1997 Census of Government*, Volume I Government Organization, 1997

連邦政府      1

州政府       50

郡政府    3,043

自治体   84,410

 通常自治体    36,001

  ミュニシパル       19,372

  タウンシップ       16,629

 特別区        48,409

  学校区             13,726

  一般特別区         34,683

https://k-okabe.xyz/home/ronbun/jichius.html

 

Q 豊かな地域が独立して新しい自治体を、なぜ簡単につくれるのか。反対に貧しい地域が新しい自治体をつくることはないのか。

A 絶対にないとはいえないでしょうが、まずないと考えるのが普通でしょう。そもそも、独立というのは、自分たちの富(広い意味で)が、他の人たちに不当に奪われていると考える人たちが起こすのが普通です。自分たちが負担しているよりも、多くの利益をえていれば、そうした状況を変えようとはしないのが普通ではないでしょうか。スコットランド独立運動、カタロニア独立運動もその国の中で豊かな地域なのです。また、スロバキアの独立も同様です。もちろん、独立される側は、通常だまって見過ごすことはなく、たとえば、豊かな地域であったクロアチアがまず独立しようとして、ユーゴスラビアは、大混乱に陥ったし、イギリスやスペインの中央政府は、独立を阻止しようと頑張るわけです。豊かな地域が離れてしまえば、自分たちが苦しくなりますから。チェコとスロバキアが平和に分離できたのは、それほど大きな差がなかったからでしょう。

アメリカで新しい自治体をつくるのは、「簡単」ではなく、かなりハードルは高いと思います。