国際教育論コメント 5/8授業

1 アメリカで新たな教育改革で、教育の格差が縮まっているか。「教育を受ける意欲」が生まれながらに植えつけられているようにも思えるので、家庭環境がよくならなければことは進まないと思った。

 教育学者としては、あまりいいたくないことですが、教育改革によって、教育の格差が縮まることは、歴史的にほとんどなかったといえます。むしろ、平等を目指す教育改革が行われても、実際には格差が拡大することの方が多いのです。何故かというと、教育改革の成果を利用できるのは、通常国民全体なので、それまで有利に教育を受けて、高い能力や資質を獲得している人たちのほうが、その教育改革を上手に利用できるわけです。

 歴史的にいえば、国民の教育格差、あるいは経済格差が縮まるのは、大きな政治的な変革が行われたときといえます。広い意味で革命によるといえます。日本の歴史でいえば、明治維新と戦後改革です。明治維新によって、それまで武士とそれ以外の人たちの教育水準は圧倒的に違っていたけれども、小学校は同じものになり、小学校後も、身分的な閉鎖性は打破されました。戦後改革は、残念ながら、日本人の手によって行われたものではありませんが、中学が平等なものになり、高校・大学までの機会も大きく拡大されました。

 

2 日本で課外活動での不正入学や、顧問の休み時間がほぼないということが報道されていた。勉学あっての部活なのに、部活に参加しないと人間関係がうまくいかないというのはどうなのか。

 全く私見ですが、私自身、現在の部活動のあり方には、基本的に否定的なので、確かに問題であると思います。

 日本の学校での部活は、制度疲労状況になっているし、利点よりも欠点のほうが多くなっていると考えています。もちろん、利点がないわけではありませんが、利点を活かしつつ、欠点をなくしていくためには、現在のシステムを変更する必要があるし、そう考える人も少なくありません。

 こうした問題を考えるときには、ひとつの現象を多面的に見ることがとても重要です。

 例えば、現在の部活の生徒側の利点に、指導を無料で受けられることがあります。通常スイミングスクールにはいって、コーチの指導を受ければ、謝礼が発生します。楽器を習うのも同様です。しかし、この生徒側の利点は、顧問である教師の無償労働によって成立していることと、専門性の低い指導しか受けられないという欠点と表裏の関係にあります。現在では、顧問に謝礼が出るようになっていますが、やっていることの正当な報酬とはとてもいえません。顧問が実際にどれだけの指導をしているのか、まったくしてない顧問も、極限までしている顧問もいるでしょう。しかし、そうしたことを査定しての謝礼になっているとも思えません。そして、多くの顧問は、その部活の内容の専門家ではないので、指導レベルもかなり低いはずです。

 もうひとつの利点は、人間関係を形成することと、施設の利用が便利であることです。しかし、これも見方を変えれば、欠点といえます。社会が進歩複雑化するにしたがって、人間関係も複雑になり、また、多様になります。逆にいえば、多様な人間関係を結ぶことが、現代社会では必要であり、また、有効なのです。ひとつの人間関係ですべて支配されていると、そのなかで関係が崩れると、生活全般が崩れてしまう危険性があります。しかし、多様な人間関係を結んでいれば、ひとつの関係がまずくなっても、他の関係で救われる可能性があります。前向きに生きている人は、活動の場を複数もっている人が多いのではないでしょうか。

 現在の部活だと、学校生活が勉学と趣味を両方覆う、非常に単一の人間関係を築くことになり、多様な人間関係を結ぶ機会が制限されてしまいます。

 施設の便利さも、見方を変えると大きな欠点になります。

 おそらく日本は、ヨーロッパなどと比較すると、生涯スポーツがまだまだ不十分といえます。日本は学校が一番多くのスポーツ施設をもち、部活が利用しているので、学校生活から離れると、スポーツ施設を利用する機会がかなり限られてきます。お金のある人は、有料の施設を利用できますが、それらも限られています。ヨーロッパ型だと、学校体育もスポーツも、社会施設で行うので、学校を卒業しても、同じ社会施設を利用しつづけることが普通にできるのです。施設が、学校関係者だけに便利なのではなく、社会全体が利用可能にすることで、生涯スポーツ、あるいは生涯文化活動が可能になります。

 部活の欠点として、もうひとつ重要なことがあります。スポーツにしても、文化活動にしても、生徒間にはレベルの差があります。また、との程度集中してやりたいかという気持ちにも差があるのが普通です。大学には普通、それぞれのニーズにあわせた部やサークルがあるので、そうした多様性がうまく処理されています。しかし、高校までの部活だと、ひとつの種目にひとつの部活しかないので、必ず、ニーズにあわない人たちがでてしまいます。また、野球部に100人いる例など珍しくありませんが、その場合、ほとんどの部員は試合にでることができません。このような欠点が最も現れるのが、柔道部で、中学の柔道部は、小学校からやっている経験者と、初心者が一緒にやることになり、そのため深刻な怪我が多くなるのです。

 以上のような欠点を是正するには、やはり、現在のような学校の部活をやめ、社会教育管轄のスポーツや文化活動に変更していくのが、望ましいといえます。そんな施設はないというかも知れませんが、施設は学校をつかえばいいのです。通常の学校の活動は、例えば4時までとして、4時以降は、校長ではなく、社会教育の管理者に変わり、学校施設が社会教育施設となる。もちろん、利用可能な教室や施設は限定されます。公共の施設と学校の施設を、利用したい部が年間契約で利用し、通学する学校とは関係なく、部を選択して、例えば5時以降活動する形にすればよいのです。すると、同じ柔道部でも、どんなやり方をするかを明確にして、選択できます。

 また、運動場なども、この学校は野球、この学校はサッカーというように、共用する必要がなくなります。そして、指導者は専門的な資格をもった人が、仕事(アルバイト)として行うようにします。利用者(生徒)は、若干の謝礼を払うことになります。しかし、今の体制とは違って、多くの人たちが参加することになるので、謝礼はそんなに多くはならないでしょう。

 この方式だと、上記の欠点は、ほぼ是正されることになります。しかし、管理体制の移行というのは、日本人があまり経験していないことなので、そこに大きな抵抗を感じる人がいるかも知れませんが、やはり、必要だとなれば、日本人は適応できるでしょう。

 また、部活指導をぜひしたいという教師もいるでしょうが、その人は、指導員として応募すればいいのです。無償労働の顧問であるより、謝礼を受取れる指導員となるのですから、改善されるでしょう。また、やりたくない人が無理に顧問をやらされることもなくります。

 

 どうでしょうか。一度じっくり考えてみてください。