国際教育論第一回 コメント

・徴兵制に取り込まれない制度(たとえば留年)はあったのか。

 徴兵に取り込まれないというのは、いくつかの異なった意味があると思います。ひとつは、そもそも徴兵の対象にならないという意味で、これは確実なのは、徴兵検査に不合格になった場合は、少なくとも兵役に駆り出されることはなかったと思われます。病気なとですね。実は私の父は、戦争が激しくなったころに徴兵検査を受け、不合格になったために、命拾いをしたそうです。同じ時期に徴兵検査で合格した人たちは、ほとんど戦地に出されて死亡したとか。

 平時であれば、2年間の徴兵機関をへて、通常生活に戻るわけですが、戦時になると、実際に戦争に駆り出されるわけで、それは、戦争が激しくなればなるほど、駆り出される人数は多くなったわけです。そういうときに、駆り出される可能性が低かったのは、長男、職務の高い官僚、経済や軍事に不可欠な企業の人たち、理系の研究者や優秀な学生などと言われますが、これもそのときそのときの判断なので明確な線引きはなかったでしょう。理系といっても、医者などは、軍医として徴集されたそうです。

 

・庶民と武士の間では知能の差があったと思うが、その差を縮めようとする努力を、日本はしたのか。

 庶民と武士の間で知能の差があったということは、あまり言われていないと思いますが、どのような情報でしょうか。

ただ、武士はあくまでも「支配層」ですから、そのためにかなりの勉学を強いられました。そういう必要がなかった庶民と比較して、教養があったことは確かでしょうし、また、明治になってからも、学習意欲が平均的に高かったことは確かでしょう。というのは、庶民は、もともと親から続いている「職業」があったわけで、そこで生きていく上では、特に学校の成績など必要ないし、勉学の必要もなかったのに対して、武士は身分を失い、自動的に支配層としての仕事が保障されない状況に追い込まれたわけですから、勉学によって、社会的地位を獲得する必要が生じたという事情もあります。そういうことが、知的レベルが異なる様相となったといえるでしょうが、それが「知能」の差であるとは断定できないと思われます。武士層と庶民のそうした差異を、殊更に埋めるという政策はとられなかったといえます。

 

 

国際教育論 2017.4.17 コメント

1 アメリカの特権階級の人が閉鎖的な教育環境にいるときいて、社会に溶け込めるのかなと思った。一番大事なスキルは、人間性(人間関係)であると思う。

 特権階級の人が属する社会でうまくやっていけるかが、おそらく彼らにとっては重要で、住んでいる社会が隔絶している状況が、次第に濃厚になっているということです。彼らは、普通の人たちが集う場面に出てこないので、普通の人たちとつきあうスキルがなくても、いいと思っているのではないでしょうか。トランプさんが、どの程度「普通の人」とつきあっているかはわかりませんが、人気テレビの司会をやったり、また、選挙をしているので、そういう場面では「普通の人」とつきあっていると思われるので、むしろ、彼のような人は「特権層」に属する人としては、珍しいのではないでしょうか。

 

2 アメリカの私立学校の納入金に驚いた。日本の大学のように、国立大学のほうがお金がかからないほうが、多くの人が目指せていいと思った。

 アメリカも、日本の国立大学にあたる州立大学は、授業料もそれほど高くないし、また、学部段階は厳密な定員もないので、学びやすい環境にあります。レベルが低いわけでもなく、州立大学で有名なところも少なくありません。ただ、トップテンの大学は私立が多いということで、特権階級でないと学べない環境にあるわけでもないのです。

 それからアメリカの私立大学の納入金が高い理由のひとつは、寮生活が原則だということもあります。つまり生活費も入っているということです。しかし、やはり、生活費よりは、教育費に多くがかかっているだろうと思われるのは、たとえば、ハーバード大学は、学部・院合わせて15000名くらいですが、教員は3000人もいます。つまり、学生5人に教員1人になります。ちなみに、文教大学は、約10000名の学生に教員は、約250名で、学生40人に教員1人になります。もちろん、寄付金や投資などの収入がかなりありますが、それでもやはり、学生にかかる負担は大きくなると思われます。

 

3 「メイフラワー号」が「メンフラワー号」になっているところもあったということですが、正しくは、「メイフラワー号」で、後者はタイプミスです。