国際教育論コメント 2016.5.2

Q1 州立大学に入学するにあたり、アファーマティブ・アクションに頼らずに黒人の学力をあげて学力で合格させるような取り組みを行った州はないのか。

A1 例えば、日本の予備校のような存在を考えれば、おそらくないと思われる。社会主義のところで扱う予定だが、スターリンが廃止するまでは、ソ連には「労農予備校」という学校があった。通常の試験では、労働者階級の子どもは、大学に入る学力がないので、労働組合などで推薦を受けた生徒(高校生)が、特別に設置された労農予備校に入学して学力をつけ、それから大学入学のための試験を受けて入学したという制度だった。ソ連は労働者のための政府であったのに、労働者の子どもが大学に入れないのは問題だということで、そのような制度をつくった。スターリンは、1930年代に、ソ連では階級は消滅したという「全人民国家」論によって、労農予備校を廃止した。

 

Q2 アファーマティブ・アクションは賛成と反対のどちかが多いのか。黒人は何故差別されるのか。

A2 建前と本音、思っている気持ちの強さ、表現するかどうか、等々さまざまな濃淡があるので、数としてどちらが多いかは、誰にもわからないのではないか。ただ、政策として採用され、裁判で争われている限り、その政策に従う必要があるので、数とは異なる政策が実行されることはある。アファーマティブ・アクションが憲法に違反するという判決はでていないが、事例の部分として否定する判決などはある。

 何故黒人が差別されるのかは、起源の問題と維持の問題とで分けて考える必要がある。

 起源については、黒人が奴隷として「輸入」されたという歴史的経緯に関する意識と、解放されても貧困状況にある黒人が多いこと、そしてそれらについてのネガティブな感情が人々のなかに残るということだろう。

 維持される点については、日本の部落問題との違いをみればわかりやすい。同和地区が領域的に残っており、そこが周囲と異なる状況をもっていれば、差別は維持されやすいが、東京などのように、そのような地区は存在せず、人々のなかに溶け込んで生活していれば、部落出身者であることなどは、周囲の人間にも全くわからない。だから、部落差別などを双方が意識せずに生活していくことが可能である。つまり、人の移動と混住が進めば、部落差別は自然に解消していく差別といえる。

 しかし、黒人はどこにいっても黒人であることが、一目で分かってしまう。つまり、黒人差別という社会的構造が存在している限り、どこにいっても差別から逃れることはできない。これが維持されやすい理由といえる。

 ユダヤ人差別の場合には、外見的には黒人とは異なり、まわりのひとと区別することはできないが、宗教を保持したり、また、独特の服装をすることで、ユダヤ人としてのアイデンティティを示すことによって、自ら他と差別化する側面があり、(そのように強要された時代もある)それが逆にユダヤ人差別の保持の理由のひとつとなっているといえる。

 

Q3 アファーマティブ・アクションに対する賛成意見の「罪ほろぼし」では、「情けはひとのためならず」と同様、結局自分に還ってくるという考えはあるのか。とすれば、もっと利己的なのではないか。

A3 そのような考えを含んで、罪滅ぼし論を主張するひとがいる可能性はあるが、基本的には、一種の損害賠償論と関連しているといえる。ひとに存在を与えれば、その損害に対する賠償責任が生じるが、社会的差別は、そうした損害を長い間、大量に特定の人々に対して及ぼしたのであるから、その保障をする必要があり、アファーマティブ・アクションは、そのひとつであるという論として理解できる。

 これは、他の分野でもみられる論理であり、例えば、環境問題の解決のために、途上国が先進国に資金を援助すべきだというのは、先進国が途上国の資源を乱開発し、資源を収奪してしまった結果として、途上国の環境問題が生じているのだから、その改善の費用を先進国が負担するのは当然だという論理になっているが、これも一種の賠償・補償論といえる。

 (念のため、「情けは他人のためならず」というのは、利己主義的主張ではなく、「利他主義」的色彩が強いのではないかと思うが、どうか。)

 

Q4 旧制中学では男女比で定員がきまっていたことに驚いた。

A4 旧制中学は男子校であり、旧制高等女学校が女子校。戦後改革で、旧制中学と高等女学校は、それぞれ高等学校に転換したが、埼玉以北では、別学が維持され、東京以西が男女共学になった。共学になったときに、旧制中学だった高校は、男子定員を多めにし、旧制高等女学校だった高校は、女子の定員を多めにした傾向があるということ。

 

Q5 アファーマティブ・アクションは今でも実施されているのか。

A5 すべてのひとがいる機関で実施されているわけではなく、公的な施設で主に行われている。

 

Q6 黒人差別を解消するための動きに対して、黒人差別をしてきた人々からの反発はあったのか。

A6 そういう反発が至るところにあったから、長い間黒人差別が残っている。リトルロック事件で説明した事例はそのひとつ。黒人運動の指導者は何人も暗殺されている。黒人至上主義のKKKという団体が代表的。(現在は小さな組織になっている。)

 

Q7 アファーマティブ・アクションでは、アジア系は結果として白人よりもよい成績を取らなければならないが、これはアジア系に対する差別ではないのか。

A7 黒人よりも、白人は、白人よりもアジア系は高い得点をとられなければ入学できないという事情が生じるので、それを「逆差別」と告発しているひとは多数いるし、また、裁判も起きている。だから、アファーマティブ・アクションは反対だというひともいるし、それを踏まえてなお意味があるとするひともいるということで、そのあとは、各自の判断に任せる。

 

Q8 賛成でも反対でもないが、誰でも入れる枠を別途つくるのはどうか。(成績で決める)

A8 「成績で決める枠」というのは、アファーマティブ・アクションと根本的に異なる原理なので、それを併用することは、ひとつのシステムのなかに背反する原則を同居させることになり、日本人的あいまいさでは許容できても、論理性を重んじるアメリカにはなじまないような気がする。実際には、すべての大学がアファーマティブ・アクションを採用しているわけではないので、妥協できれば、採用していない大学を受けることは可能である。

 多少異なるが、「誰でも入れる」という意味では、アメリカの大学システムでは、コミュニティー・カレッジは誰でも入れる教育施設として普及している。

 

アファーマティブ・アクションに対する意見

賛成論

・ 罪滅ぼし論が正しい。自分たちの世代に関係ないという考え方は、自己中心的であると思う。何年にも渡って議論しても解決できないのであれば、譲るしかないと思う。例えば、黒人を優遇して決めるが、割合を減らすというのはどうか。

・ 大学前の教育に差別があるとすれば、黒人の教育は確保されていなかったため、いままで教育をまともに受けてこれなかった黒人の人々に教育を受ける権利を確保してあげるべきだと思いました。大学で始まったアファーマティブ・シクションが定着してきたら、大学以前の教育でもアファーマティブ・シクションが広まっていけば、もっと幼少の頃からの教育の平等が広まっていくのではないかと考えました。

 

 

反対論

・ 男女比で分けると、学力や能力にも差が生じてしまい、逆差別につながってしまう。黒人のほうが学力が低いが、みなが全員そうでもないので、常に黒人に対して偏見の目をもって接してしまうことになる。

・ 逆差別という観点から反対。本当に自由と平等を求めていくならば、過去の歴史もお互いに受入れあい、誰もに平等な機会を与えていくべきだと思う。

・ 高校のとき、男子は全入だった。しかし、学年があがるごとに退学していった。自分にあった学力のところに入れば、普通に高校を卒業していた。このようなことになる可能性がある。

 

両論併記的意見

・学校の定員の男女比は決められるべきではないと思う。試験等でしっかりと合否を男女平等に割り振るべき。黒人や白人に考えを置き換えると調整を行ってもよいと思う。

・人種によって合格基準を設定することは、黒人と白人の教育環境の格差を埋めることになるが、逆差別であるという意見もあり、賛否をつけるのは難しい。

・ アファーマティブ・シクションの割合は、ある程度の目安としておいて、なんとしてもこの割合を守らなくてはならないということは、そこまでよい結果をもたらさないと思う。アファーマティブ・シクションなどの形式的面において是正することに傾倒するのではなく、実質的な面を是正することに力を注ぐべきだと思う。