国際教育論 2016.4.25 コメント

Q1 上流階層の人々が大衆教育を学ぶ意義は何だったのか。彼ら自身に利益はあったのか。

A ホレースマンに関連していえば、上流階層の人が、大衆教育にお金を出す、つまり、税金を支出することを認める意義になるでしょうか。彼らが雇用する労働者の質が高くなり、生産性があがること、犯罪が少なくなって、社会的安定のための費用が少なくなること、などを説いたと思われます。



Q2 何十年も経っても差別が完全に消え去らない原因は何なのか?

A 差別をするのが、人間の本性であるとする説、階級社会があるからという説、競争社会である以上、敗者がでるから、競争社会に原因を求める説、様々な考え方があると思います。どれかが社会が正解として認定しているわけではなく、ここの人が何故なのかを考えてほしいと思います。

 

Q2 今でも奴隷が認められている国はあるのか。

A 少なくとも国際社会で承認されている国家のなかで、奴隷制度を正式に認めている国はないと思います。ただ、イスラム国やボコハラムのような政治集団が事実上、奴隷のようにある人々を使っている場合はあると思います。

 また、奴隷的状態にある人たちという意味でいえば、完全に自由を奪われて、過酷な労働を強いられているひとたち、そしてそこから抜け出すことができないようにされているひとたちは、奴隷状態にあるといえるでしょう。

 

Q3 宗教と教育の問題は今も世界各地で残っていると思う。中東の宗教と教育の問題に関心があるので、授業で扱ってほしい。

A 中東はこの授業の範囲外なので、扱う予定はありませんが、時間的余裕があれば、扱おうと思います。(ユダヤ人問題の部分で含めることが可能でしょう。)

 

Q4 奴隷を解放したのに、何故黒人と白人を区別したのわからなかった。もともと奴隷という「モノ」だったからなのか。また、現在はスポーツやビジネスで黒人は成功しているが、まだ黒人の差別は存在するのか。

A 前半の問いは、差別の本質的な問題のひとつであるといえます。「ユダヤ人」問題について、ユダヤ人であったマルクスは、一度だけ論じたことがあり、それは今でも重要な提起をしています。つまり、差別からの解放には、政治的解放と人間的解放があり、その両方が実現しないと、差別が解消されたとはいえないといっていること、そして、政治的解放が実現すると、人間的解放が問題となる、つまり、そこで新たな差別が生じるのだという意味です。

 ユダヤ人にしても、黒人にしても、政治的に解放されていない段階(つまり、人間としての権利が、政治体制として全く奪われている段階)では、完全に「別々の」生活をしており、交わることはないのです。ユダヤ人は通常、ゲットーという特別な地域に押し込められ、そこから市民の場に出るたには、多くの負担を強いられました。(多額のお金を支払うとか)可能な仕事も、もちろん限定されていました。黒人も同様でしょう。(もっともユダヤ人は奴隷ではありませんでした。)

 しかし、政治的解放がなされると、(アメリカでは南北戦争後、ユダヤ人は、フランスではフランス革命後)「機会」が提供されるようになるので、実際に別生活を営んでいたユダヤ人や黒人が、市民と共通の場に登場します。つまり、それまでは交わることがなかったのに、直接対面し、共通の場で生きていかねばならなくなるので、感情としての差別が前面に出てくるのです。そうして、暴力を振るったり、共通の場に区別を導入したりするのてす。(もともとは共通の場はなかったのです。)

 

Q5 黒人奴隷は、自分の国から連行されてきたのか。

A ヨーロッパ人がアフリカにでかけていって、暴力的に、あるいは、だまして船に乗せ、自由を奪うことによって、奴隷市場につれていって売りさばいたのです。

 

Q5 黒人差別と同じように、アジアの人々も黄色い人と白人に馬鹿にされると聞いたが、そうしたことが問題として、また事件としてあったのか。

A アジアからの移民が多くなって、締め出しをするようになった歴史があります。また、第二次世界大戦が始まったとき、アメリカでは、ドイツ人やイタリア人に対してはなされなかったに、日系移民を拘束し、収容所にいれていたという事実があります。これは最近アメリカ政府によって、正式に誤りであったと謝罪の念が示されました。



Q6 日本の教育は、過去の経験から、政治/宗教と教育を切り離そうとうする動きが強いですが、アメリカはその真逆であるような気がします。アメリカの教育は、時の政治情勢や、宗教観念が反映されやすいのでしょうか。政治、政府の思惑、あるいは州の行政の思う方向へと思想統制が行われてしまったりしないのでしょうか。

A 宗教とは何かということに関わると思いますが、日本の教育が宗教・政治と教育を切り離そうとしているというのは、事実に反するといえます。学習指導要領を読むと、いたるところに、「〜を愛する」ようにさせる趣旨や、畏敬の念とか、尊重するというような価値観に関わる教育を規定しています。こういう意味で、欧米での宗教教育と、日本の道徳以外の教科も含めての道徳教育は、基本的に同じであるといえます。ただ、違うのは、宗教教育として行う場合には、選択権があり、どの宗教教育も望まない選択もありうるのに対して、日本の道徳教育は受けない選択ができない仕組みになっている点です。そういう意味では、むしろ、日本のほうが、宗教的教育が公的教育のなかに深く浸透しているともいえるのです。

 アメリカは、確かにこうした宗教的色彩の強い国家ですが、拒否する権利がきちんと認められているという点で、自分の信念がはっきりしていれば、合理的な対応が可能だともいえます。(ただし、中絶反対運動などの激しさは、日本では考えられないほどです。)

 

Q7 スコープス裁判がかなり強く進化論が否定されていましたが、アーカンソウ裁判はどういう経緯で法の廃止までいったのでしょうか。

A 授業で説明します。

 

Q8 現在の日本に奴隷的な人々はいるのか。黒人差別は完全になくなったのか。

A Q2で述べたように、「奴隷的」というのをどのように考えるかによるといえます。外国人で売春などに従事させられているひと達は、かなり奴隷的といえます。また、非正規職員の労働条件を奴隷的と評価するひと達もいます。南北戦争以前の黒人奴隷の状況と同じようなことだけが、奴隷的なわけではないので、ニュース等を素材にして考えてみましょう。

 アメリカで黒人差別がなくなっていると考える人は、少ないと思います。現実に黒人暴動などがときどき起きているのは、黒人差別があると感じている黒人が多数いる証拠です。多くの場合、犯罪に関係していて、黒人が容疑者である場合には、有罪になる確立が高いと感じられている、殺人事件が起きると犯人は黒人だという印象が流布される、黒人の容疑者に対しては、乱暴な扱いが少なくない、等々が信じられ、それが暴動になる原因と考えられています。