国際教育論 2015.6.1 

 

 エジソンスクールに興味をもった人が多いようですが、エジソンスクールは「学校」ではなく、様々な教育事業を経営する「企業」の名称です。自ら学校を経営するだけではなく、公立学校の運営を請け負うことや、教師の派遣、教材作成など多角的な事業を営んでいます。 

 

1 スプートニクを受けあげることができたソ連の当時の状況が気になる。アメリカに迫るほどの学力や技術があったということなのか。 

 ソ連はどのような政策や研究によって人工衛星の打ち上げに成功したのか。また、アメリカがソ連の衛星科学分野の進んだ教育を学ぶことはあったのか。 

 社会主義と教育のところで扱います。 

 

 

2 エジソンスクールが大きな利益をあげているということだが、普通の公立学校との違いは何か。 

 普通の公立学校は、学習指導要領にそって、全ての子どもたちを前提とした教育を行っていますが、エジソンスクールの経営するチャータースクールは、選抜試験をするわけでないとしても、有名大学に進学することを目的とした高度なレベルの教育をすることを目標とし、優秀で勉学意欲の高い子どもを集めています。そして、進学実績もあげていると考えられます。 

 では何故利益をあげられるのか。正確なところは調べてみないとわかりませんが、以下のことが考えられます。 

 第一に、通常の公立学校より学習意欲の非常に高い子どもたちなので、一クラスの人数を多くすることができ、一人あたりの補助金は同じなので、利益を出せる。 

 第二に、エジソンスクールは、大量の教育資源をもっているので、教材などを作成して販売することができる。 

 

 

3 アメリカで他国の言語を授業で学ぶ機会があるのか。アメリカは外国語に力をいれていないのか。 

 アメリカでは、特別な学校でない限り、外国語が必修科目になっていることは少ないと考えられます。大学進学受験に必要なSATでも外国語は必修にはなっていません。ただし、公立高校は非常にたくさんの科目をそろえているので、選択科目として履修することはできます。そして、その場合には、日本などと違って、実に多様な外国語を選択することができるし、ラテン語・古代ギリシャ語のような外国の古典語などを学習することもできることが多いようです。大学も同様です。日本の高校では、英語が必修ですが、逆に英語以外の外国語を学ぶことができる高校は極めて少ないわけですから、アメリカでは外国語に力をいれていないともいえないでしょう。 

 

4 学力を学ぶのに特化する学校は塾のようなイメージだが、教科以外のことについても学ぶ学校とは違う感じがする。 

 確かにエジソンスクールが経営するチャータースクールは、塾というよりも更に予備校という感じではないでしょうか。「特化」という意味では他のチャータースクールと同じです。 

 

5 日本でもチャータースクールが流行れば、子どもたちの学校選択の幅が広まるように思うが、資金の問題なのか。 

 日本でも、チャータースクールを設立させようという運動があり、文部科学省などとずいぶん交渉したわけですが、教育政策の側がそれを許さなかったためにできず、しかし形を変えて経済特区制度になったのです。授業でも説明したように、チャータースクールは運営資金は公費ですが、日本ではすべてが私費負担になるので、特区制度で学校を設立すること自体が極めて困難です。資金の問題かというと、その通りだとおもいます。 

 

 

6 日本にもアート系をいかした特別学校はあるのですか。 

 私立の学校ならあるとおもいますが、公立の義務教育学校には存在しないとおもいます。 

 ただ、経済特区制度を利用したシュタイナー学校は、藤野町が廃校した小学校校舎を提供するなどの支援をしているので、半分は該当するともいえます。興味があったら、次の文書をみてください。 

http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/dbps_data/_material_/_files/000/000/002/237/kaikaku_fujino.pdf 

 

7 チャータースクールは、アート中心の学校とか、大量の宿題をだす進学校とかあるが、チャータースクールは、画一的なものなのか、あるいは時代によって変わってきたのか。 

 チャータースクールは、特別な教育目的を設定して認可される学校なので、それぞれが違う、多様な学校です。当初は、どちらかというと普通の公立学校になじめない子どもたちのための教育をする、支援的な学校が多かったのですが、次第にエジソンスクールのような企業が経営する進学校が増えてきたという時代的変化はあります。 

 

 

8 チャータースクールは、すべての落ちこぼれのセーフティネットになりえるか 

 どのような優れた取り組みでも、「すべて」を救うことはなかなか難しいのではないでしょうか。ただ、チャータースクールは、ある特別な目的をもって設置されるので、その落ちこぼれの特性にあった形での教育が行われれば、その限りでのセーフティネットになるでしょうが、また別の原因や特質の場合には、また別の形が求められるでしょう。