国際教育論 2015.5.18
1 日本は何故学力しか見ないのかと思った。大変だからなのだろうか。学生に求められているものが全然違うのかなと思った。
 日本で一般的に学力しか見ないことはないと思います。AO入試や推薦入試などは、学力以外もみますし、また、実技系では実技試験を課すところもあります。偏差値の非常に高い大学や高校では、学力重視はかなり明瞭です。何故なのかは、いろいろな理由があると考えられ、むしろ学生諸君に考えてほしいところですが、ひとつの理由として考えられるのは、日本が欧米に追い付き・追い越すための資質の育成を教育に求めたとき、欧米の文献をこなせることが中心であったということがあげられます。更にいえば、偏差値の高い学校は、エリート養成機関として設置されたわけですが、エリートとは何かという検討が社会としても十分ではなかったことも理由としてあげることができるでしょう。

2 卒業できなかったからといって、留学に表記を変えてもいいものなのですか?
 卒業できなくても、留学したことは事実だから、「**大学留学」と書くのは、許されないわけではないでしょう。むしろ、日本人が、大学は入れば出るのは当たり前と思っているので、「留学=卒業」と受け取ってしまうことを注意すべきでしょう。

3 アメリカの授業料が履修した数で決まるのは、とてもよい制度だと思うが、日本では何故認められないのか。(同趣旨の質問 単位数によって授業梁を決めるやり方は賛成だ。学年で履修数がかなり違うのに、授業料が同じなのは問題ではないか。)
 おそらく誤解があるかと思いますが、授業料一定のほうが、学生にとっては授業を「気楽に」とれるし、安上がりのような気がします。履修単位で授業料を決めると、卒業最低単位を基準に単位あたりの授業料を決めるので、多くの学生がかなり基準を上回って履修しているので、当然合計額がかなり高くなります。履修制限は授業に関する経費によるものではなく、あくまでも自習等の教育効果を考えてのことです。
 学生の履修態度からみると、3年までにほぼすべてとって、4年生でゼミだけというスタイルが大きな問題であるともいえます。3年までに詰め込めば、当然必要な予習復習をしなくなるので、教育効果が低下します。もっとも理解力の高い4年生でほとんど授業をとらないというのは、大学での授業をあまり吸収しないまま卒業することになるので、学生諸君はそうしたとり方を改善すべきでしょう。

4 アメリカの大学の数が多く、社会人も多いのは、アメリカの危機のためだということだが、その危機とは具体的にどのようなものなのか。
 日本と同じ少子化による大学入学年齢人口の減少です。

5 州立大学は定員がなく、私立大学は定員があることが不思議だ。
 州立大学は、州の住民の教育を受ける権利を充足するために、州の税金によって成り立っている教育機関であり、大学で学ぶに相応しい最低限の学力がある者に対しては、州は権利を充足させる義務があるということで、定員はないわけです。私立大学は、そういう義務を負っているわけではないので、教育水準を保持するために、定員を設定しています。

6 日本でも人物重視の傾向が高まっているが、面接官の好みで選抜される部分が出てこないか疑問に思った。取得単位数のみ学費を払う制度は、本当に勉強したいひとが学ぶ意欲につながるから良いと思った。
 「取得単位数」ではなく、「履修登録単位数」です。不勉強で単位を落とした場合も、授業は払う必要があります。面接はかなり主観的な要素がはいりますから、心配されるような事態がおきることは十分に予想されます。そして、それが弊害につながることもあるでしょう。Stap 細胞問題で話題となったO氏は、プレゼンテーションのやり方がとても上手だったために、実際の研究能力は低かったにもかかわらず、たくさんの選抜を突破することができたようです。
 しかし、選抜から完全に主観を排除することも、正しいともいえなません。受け入れ側には、どのような人材がほしいかという要望があり、それにしたがって、その能力適切が高いひとを選抜することは、ごく普通のことだからです。学力試験も、客観的であるようにみえて、「学力を重視する」という立場それものは、受け入れ組織の願望によると考えれば、主観的であるともいえます。芸術系やスポーツ系の学部では、学力は必ずしも重視されず、実技が重視されますが、芸術系の実技評価は、主観的要素を排除することはできないし、また、スポーツ系でもどのような実技を課すかは、様々な意見があり、その妥協として科目が設定されているはずです。

7 州立大学の入試には高校の成績も選抜に関わるが、高校の成績が好ましくない社会人は、州立大学を避けがちなのか。高校の成績がよくなくても、社会経験を積み、明らかに高校卒業したばかりの学生よりも優秀な社会人がいるのではないか。
 高校の成績といっても、それほど高いものを求められるわけではありません。アメリカの大学は「はいりやすく、出にくい」と言われますが、「はいりやすい」の意味は、入るときの学力はそれほど高くなくてもいいわけです。高校の成績は、相対評価ではないので、おおくは基準を満たすし、SATもごく基本的な問題です。それでも成績が悪くて州立大学にいくことができないひとは、コミュニティ・カレッジにいくか、お金のあるひとは、レベルの高くない私立大学にいくでしょう。あるいは、社会人の経験で入学資格をえられる場合もあるし、特に軍隊勤務を経験すると、大学入学資格を得ることができる州が多いので、軍隊を経て大学にいく者も少なくありません。

8 州立大学で定員がないと、人気のある大学に集中して、人気のない大学は経営困難になるのではないか。経営を維持ずくために、日本の私立大学のような、その大学の特性をアピールしたりしているのだろうか。
 州立大学といっても、定員がないのは学部段階で、大学院には定員があります。アメリカの大学は、基本的に大学院重視で、学部は教養科目を学ぶので、それほど偏りがおきることはないし、また州立大学であるので、経営問題は重要ではありません。大学院になると、ノーベル賞受賞者が教授としているなどでの人気の差が出てきますが、定員があるので、人数的な偏りというよりは、質的な格差が生じます。

9 アメリカの大学には、卒業に必要な単位数はないのか。
 当然あります。必要な単位数がないと、「卒業」という仕組みも存在できなくなります。

10 アメリカの大学選抜は様々な面から選抜がなされており、日本のような学力のみよりよいと思うが、寄付金や親が卒業生かどうかまで考慮するのはどうかと思う。
 忘れてはいけないのは、アメリカの大学は、卒業することが極めて厳しいということです。相当勉強しないと単位がとれないし、単位がとれないと卒業できません。中途退学せざるをえなくなります。したがって、親が多額の寄付をしたので入学できたとしても、学力が伴わないと、途中でやめることになります。親が裕福だから、ハーバードに入れるかも知れないが、卒業できるわけではないのです。そうすると、大学としては、たくさん寄付があれば教育水準も向上させることができるので、子どもを入学させることで寄付金を集めるのは合理的であるし、また、他の学生から不満がでることもあまりないわけです。そういう寄付から奨学金の資金が出されているわけですから。親が卒業生である場合というのは、卒業生までもふくめて、愛校心を高め、それで応募する学生を増やすことに目的があるように思います。

11 アメリカの産学共同は非常によいと考える。起業にスポンサーになってもらうことで、金銭的な面で大きく助けられる。改善された環境を学生に提供できるのではないか。
 次回テーマとして取り上げます。