教育行政学コメント 2019.5.9

入試関係

Q アメリカでは家庭で入試をすることはあるのか。

A ないと思います。受験校に集めない場合でも、所属の学校で行うのが普通でしょう。

 

Q 日本の入学試験が受け入れ側主体で行われることに疑問が残る。

A どうしてそのようになったのかは、正確にはわかりませんが、下のほうに説明してあります。

 

Q 指定校制度がなくなるのは、高校で努力したがかわいそうなのではないか。

A 指定校制度がなくなるわけではなく、指定校であっても、なんらかの試験をやれと文部科学省はいっているということです。

 

Q 文教大学は、どのようなアクレディテーションに所属しているか。

A  大学基準協会という協会に加盟しています。

Q 大学入試制度改革により内申点が重視されるようになるが、高校生にどのような変化が生じてくるか。

A 実際にどのような重視の方法になるのか、まだ不明なので、よくわかりません。内申点を重視するといっても、これまでもずいぶん「掛け声」はありましたが、入試全体として重視されることはありませんでした。高校の学力格差がこれだけある以上、内申点を公正に扱うことは、不可能なのです。

 たとえば、推薦入試について、学生の間でも見解の相違があります。昨年の「臨床教育学」という授業では、学生間の論争になりました。

 人間科学部の公募推薦では、内申点がカウントされます。高校から提出された点数をそのまま使うので、偏差値が高い学校の生徒は不利なのです。そして、偏差値の低い学校の生徒が有利となり、とくに通信高校は満点近い点数の受験生が多いので、かなり有利になります。

 これにまったく疑問をもたない人は、あまりいないのですが、しかし、逆に公正な対応というのも、ほとんどないわけです。高校の偏差値で修正するという意見もありますが、偏差値というのは、あくまでもその地域における高校入試の値であるし、また、計算主体によって異なるものです。また、年によって変化もするでしょう。所詮、偏差値で修正するというのは、合意できないのです。

 それで、仕方ないと諦める人と、偏差値の低い高校の生徒に機会を与えるから、その点こそがいい制度なのだと考える人がいます。

 高校生に今後どのような影響があるかという点については、どのような「重視の仕方」となるのかによって、違ってくるとしかいいようがありません。

 

Q アメリカでは入学は簡単だが、卒業ができない人も多いというが。

A アメリカの大学は一般的に単位認定が厳しいので、卒業できるのは、大学にもよりますが、かなり減ってしまいます。ついていけない者は、退学する場合もあるし、またもっと易しい大学に移っていく場合もあります。アメリカでは、レーガン代筆業とか、そういう有料サイトがあるとか、いろいろと話題になるのは、単位取得が難しいからです。また、教授に頼み込むなども、日本とは比較にならないといわれています。

 

Q はいるのが難しく、出るのはやさしいという日本の大学は、学力低下と関係があるのか。

A 人によって見方が異なるでしょうが、私はあると思います。よくいわれるのは、日本は高校までは学力が高いが、大学になると欧米に比較して低くなってしまう。それは、大学入学後の勉強の厳しさによるでしょう。文教大学は、比較的「採用試験」をうける学生が多いので、日本の大学としては、よく勉強すると思うので、学力が落ちることは少ないかも知れませんが、しかし、それでも、外部の試験のための勉強なので、大学での勉強に熱心かどうかは、また、見解の分かれるところでしょう。

 

Q 日本の入試体制で、学力の剥落現象が問題となっているが、欧米ではそのようなことがないのか。

A 日本は、競争のために、学校の勉強とは多少異なる側面で勉強するので、入試が終わると剥落してしまいますが、ヨーロッパでは、学校で学んだことをチェックするので、日本ほど落ちることはないと思われますが、人間は当然忘れる存在なので、多少は剥落するでしょう。

 

Q アメリカの州立大学と日本の大学の入試で、どちらが学力を適切に測ることができるのか。

A 測る学力のイメージが異なるといえるでしょう。アメリカは、高校で学ぶべきことを、ちゃんと修得したかを測るので、それはそれとして機能していると思います。

 しかし、日本の入学試験は、一体何を測っているのか、実ははっきりしないのです。高校の内容を修得したか、大学で学ぶ学力をもっているか、というふたつの大きな分類が可能ですが、実はいずれだという風にも決められないのです。というのは、競争試験だからです。つまり、競争に勝ち抜く能力を試しているともいえます。根本的に考えれば、大学入学試験は、何を測るべきなのかを、ちゃんと議論する必要があります。

 

Q 日本では、学校選択について、どのような仕組みになっているのか。

A 日本では、義務の公立小学校と中学校の通学区は、教育委員会が決める事項になっています。したがって、教育委員会が、通学区を決めるのがほとんどで、ある程度自由にしようというと、教育委員会の決めた範囲で、学校選択の余地が生まれます。地域によって、まったく違うので、それぞれの教育委員会のホームページをチェックする必要があります。東京の23区の学校は、選択可能になっているところがかなりありますが、それでも選択可能領域や、多くなったときどうするか、など細かいところは、かなり多様です。

 

Q 日本の入試で、指定の場所に集めるのは、どういう由来なのか。

A おそらく、受け入れ側(上級の学校)が試験をするから、自然にそうなったと思われます。原則的に、下位の学校と上位の学校は、制度的に別なので、連絡がなく、したがって、入試は自分たちで選ぶとなったのでしょう。

 ヨーロッパでは、選抜があるような学校の道は、上の学校(大学)がまずできて、その準備段階の教育をするための下位の学校(中等学校)が設立されます。つまり、下位の学校は、あくまでも上の学校にいくための基礎学力をつけるためのもので、それがついているかを認定すれば、上が受け入れるという仕組みができていったのです。それが現在に発展してきたといえるでしょう。そういう仕組みは、明治のごく初期に、東京大学とその予備門の関係にありましたが、予備門は廃止されたので多少関係がかわりました。しかし、旧制高校の卒業後は、かならず帝国大学に入学を許されたので、この両者の関係は、現在のヨーロッパの関係と同じであるといえます。しかし、戦後改革で、旧制高校は廃止され、大学に吸収されたので、こうした選抜はなくなりました。旧制高校からの制限があったのは、東大の医学部と法学部だけだったようです。あとは、ほぼ志望通りに進学することができたのです。

 

Q 日本にはアクレディテーションのみの学校は存在しないのか。

A 学校はすべて認可が必要なので、そういう学校はありません。

 

Q アメリカでは成績下位者は、大学にいけるのか。

A 少なくとも、州立大学やそれなりの私立大学には、いけないと思います。だいたい成績の最低ラインを決めているし、また、SATも必要得点が示されていますから、それに足りない人は合格できないでしょう。そういう人は、通常コミュニティ・カレッジに進学し、卒業後、更に勉強したければ、州立大学等に編入する道があります。

 

Q 日本で入試が競争試験ではなく、資格試験になるようなことはないのか。

A センター試験を資格試験のように変更しようというのが、当初の意向でしたが、途中でとりやめになってしまいました。日本の教育界は、競争試験に異常なほどの価値をおいていると思います。

 

Q アメリカの大学では偏差値の差はあまりないのか。

A 偏差値というのは、日本人が発明し、日本でだけ使われている入試用統計数値であって、欧米ではまったく意識されることはありません。まず、州立大学については、通常州民がいくし、キャンパスが複数あるとしても、だいたい近くのところを選択するので、レベルの差というのは、あまり意識されません。アメリカの専門教育は主に大学院で行われるので、大学は、専門の勉強という観点から、領域や教授で選んでいきます。私立大学はレベルの差がありますが、それは、その大学の情報を集めて、どの位難しいか(SATの得点)、どのような教育の特質があるかをホームページなどで調べて、志願します。

 

Q アメリカには公立高校の入試はないということだが、偏差値に見合った学校を選択できるのか。

A アメリカは地域総合制高校で、その地域に通常一校しかないので、選択の予知はありません。あとは、私立の学校を受けることはできますが、非常に授業料が高額なので、お金持ちしかいくことはできません。

 

Q 日本は戦前から一斉入試だったのか。

A 旧制中学、旧制高校は、一斉に行われていました。

 

学校種

Q 義務教育学校は、どのくらいあるのか。

A 文科省の学校基本調査は県別の数しかでていないので、ウィキペディアが便利でしょう。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の義務教育学校一覧

 

Q 小学校と中学校をひとつにまとめる義務教育学校のメリーとは何か。

A 連続性があるということでしょう。北欧では、多くが、小学校と中学校を統合した学校になっています。

 

Q サドベリバレエ学校は、日本のどこにあるのか。

A 近くでは東京都の世田谷区にあります。