教育行政学第一回2019.4.11 コメント

教育の目的に関連して

Q 教師は公務員なので、社会の側からみる必要があるのか、教師でも社会の側から水、個人の側からだけみてもよいのだろうか。

A 常に両方の側からみることが大事で、最終目標は、社会的目的と個人的目的が調和する状態を作りだすことだと考えます。それはどういう状態であるのかを考えるのが、この授業の最終目標です。

 戦前のように、国のために命を捧げる人材養成が全面にでていれば、個人の幸福追求とは、矛盾してしまいます。しかし、個人の幸福は、国が安全であることが必要であることも確かです。障害をもった人たち、移民の援助と、国民の負担なども、調和点を見つけることは、それほど易しくありません。

 この授業を通して、考えてくれることを期待します。

 

プログラミング教育に関して

Q プログラミング教育が入ってくるのはよいが、教師に任せるのはどうか。専門家がやるべきではないか

A 同感です。

Q 日本の子どものパソコン所有率が先進国で低いのは何故か? 先進国の子どもは、プログラミングなどを憶えているのか。パソコンをあたえれば、IT技術があがるものなのか。

A 日本のコンピューター産業が遅れていることは、まず間違いないといえます。ほとんどが外国(多くがアメリカ)の技術を利用し、利用料を払って使っている状況です。何故遅れてしまったのか。理由はたくさんあると考えられます。

 コンピューター技術は、第二次大戦で、軍事技術として発展したが、日本は敗戦し、軍事技術開発ができなくなった。

 アメリカの占領下に置かれ、今でもアメリカの政治支配を大きく受けているので、こうした先端技術開発に、様々な圧力がかけられている。(Tronwinny、車の全自動運転)ただし、真実は明らかではない。

 パコソンがあれば、IT技術が向上するかどうかは、人によるでしょうが、パソコンを所有しないで、IT技術が向上することはほとんどないのではないでしょうか。

 プログラミングの基本的なことは、誰でも修得できると思いますが、新しい技術を生むのは、特別な才能がある人にのみ可能なので、前者については、教育が進んでいれば、可能ですが、後者については、もっと教育全体のあり方を自由にする必要があるでしょう。現在の日本の学校教育におけるパソコン教育のあり方は、かなり大きくかえる必要があるでしょう。 

Q プログラミング教育などは他の国があっているからやっているという、流行にのった感じがするが。

A 実際に行われるプログラミング教育がどうなるかはわかりませんので、そのことの評価はまだできませんが、少なくともITに関する教育は、現代社会では必要だと考える人が多いでしょう。ITを使わずに生活していくことは、ほとんど不可能ですから。

 

ALC貝塚学院に関して

Q ALC学院のように、認可されていないところは、法律違反ではないか?

A 法的には、塾とか習い事教室とされるもので、別に法律違反ではありません。無認可であることは、ホームページなどでも公表されていますから、詐欺的なやっていたわけでもないでしょう。小学校だとして、ここで学べば義務教育を充足している、というような宣伝をしているとすれば、法律違反になります。

Q ALC貝塚学院の教育が高度であるが、その分基礎をおろそかにしているのではない。子どもたちはついていっているのか。

A 親も卒園生だった人たちが少なくないようですから、ついていけた、よかったと感じている人たちがいることは間違いないでしょう。しかし、インターネットの書き込みなどをみると、ひたすら漢字を憶えさせられるので、子どもたちはうんざりしているという意見もあります。人によって、受け取りが違うでしょうが、では「基礎」とは何か、ということも多様な考えがありますね。幼稚園段階では、「遊ぶこと」を基礎として大切にすべきという見解もあるし、ある程度早期教育が有効だという考えもあるでしょう。

ALC貝塚学院のような高度な教育をしている幼稚園はどのくらいあるのか。早期教育を受けた者が、その後どのような影響を受けているのか。認可問題は他にもあるのか。

A あそこまで多様な領域での高度なものをやっていると称している幼稚園は、あまり知りませんが、ある種の分野を決めて、高度なことをやっているという幼稚園は、多いと思われます。園児募集の「売り」が必要になっていますから。

Q ALC貝塚学院は、無認可なのにどうして成り立っていたのか。なぜ急に廃園になったのか。

A それなりの希望が多く、高い納入金を払う人たちがいたということでしょう。しかし、ひとつには、あまりにやることを多面的に増大させて、コストが膨らんだ、それだけ納入金も高額になって、志願者が減ってきた、そのために、経営が困難になってきたということではないかと思います。

 

義務教育他の歴史的なことに関して

Q 労働形態の激変とは具体的にどういうことか。教員でもそうか。

A 昔からあった労働の形態の変化を考えればわかると思います。木造家屋を建てるとき、木材の斬り方、木材の組み立てかた、釘の打ち方、等々、多くが機械化されています。教員の教え方は、かわらない部分もありますが、周辺的なこと、書類の作り方などは、大きく変わっています。新しい機械が入ってくるときに、それに適応できる能力の形成が必要でしょう。

Q 寺子屋と幕府・藩校の学校の違いは何か。

A 寺子屋は、今の塾のようなものだと考えればいいでしょう。いきたい人がいき、開きたい人が開き、費用は学んでいる人が納入するもので成り立っている。幕府や藩校は、幕府の家臣(旗本、御家人)が、学ぶところですが、人数が非常に多いので、義務的ではなかったと思われます。しかし、藩校は、藩士がほぼ義務として学ぶというシステムにしていたところが多いようです。藩によって異なるでしょう。

Q 義務教育のメリットにアフリカの食料配分がだされていたが、江戸時代以前のときも同じようなことが起こっていたのか。

A 江戸時代以前に、あるところで飢餓が起きたとき、他のところから援助がもたらされるというようなこと自体がなかったと思います。

 江戸時代になると、特に後期になって、社会そのものが安定してくると、普段から備蓄をする藩とそうでない藩がでてきます。江戸時代には、商品経済が進行して、米が商品として、どんどん売られていくので、天候不順で作物が育たないと、飢餓状態になりやすい傾向が生じていました。そのようなときに、備蓄をしている藩でも、農民たちに拠出して、飢餓による死を防ごうとした藩と、農民が困ろうと何もしない藩とがありました。少なくとも、備蓄を拠出したときに、人々のレベルが低くて、配分そのものがうまくできないというようなことは、日本の江戸時代には、既になかったと思われます。むしろ、藩が備蓄をして、更に、それを飢饉のときに、農民たちを救うために使う意思があったかどうかが、別れ道だったのです。

 今でも、少し前の北朝鮮では、飢饉状態に何度もなりましたが、その際に、国際的な食料援助がありました。しかし、軍部が優先的にそれをとってしまうので、国民に行き渡らず、餓死が多数出たといわれています。これも配分能力ではなく、配分意思、政策の問題でしょう。

 

授業の進め方

Q パワーポイントに書く内容を増やしてほしい

A ここは、いろいろな試行錯誤しているところで、ブログの記事を参照してください。

Q 裁判の傍聴はしておくべきか

A 刑事裁判は、毎回証人がでてきて、検察、弁護士による尋問が行われますが、教育裁判の刑事裁判は、ほとんどありません。教育関連はほとんどが民事裁判であり、民事裁判で証人尋問が行われるのは、少なく、ほとんどが文書の提出を確認するだけで、15分程度で済んでしまいます。従って、ある裁判の原告、被告のどちらかを応援したいような場合を除いて、教育裁判の傍聴はあまり意味がないでしょう。応援する場合には、弁護士に連絡するか、あるいは応援団体があれば、そこに参加するなどして、証人尋問の日時などを確認することができるかと思います。

 石橋ゼミでは、裁判の傍聴が推奨されているようですが、犯罪を扱っているので、ほとんどが刑事裁判が対象のはずです。

・正解は裁判に基づいているという話があったが、裁判の結果には疑問も多いが。

 誤解だと思います。裁判の判決には疑問をもつことも自由であると説明したはずです。

 判決というのは、原告と被告というまったく対立する立場の論理を整理し、それに対して、証拠や論理を判断して、結論をだすという構成になっているので、論理的に考えることの訓練になるということで、読むことを推薦しています。

 

その他

Q 補助教で、小学生から「何故学校に行かなければならないのか」と聞かれるが、どう考えたらいいのか。

A 授業で考えてみましょう。